秀明のウソ・いつわりシリーズ

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公開日2026/02/04
更新日2026/05/03

秀明のウソ・いつわりシリーズ
起こされた裁判事例


 神慈秀明会が信者に隠蔽している、元信者たちから起こされた裁判について紹介します。

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東京支部元助教師(桃の実献金発案者)≪教祖殿・神苑・支部建設献金≫

 神慈秀明会に対する不当利得返還請求訴訟が昭和61年(1986年)に提起されました。
 請求が認められなかった原告(元東京支部助教師・元都庁職員)からの投稿です。
 神慈秀明会被害ネットワークHP>過去の裁判情報>原告からの投稿1

1986年提起 東京支部元助教師(桃の実献金発案者)の証言≪教祖殿・神苑・支部建設献金≫

 私は、昭和49年(1974年)10月20日東京支部で入信し、その後8年余りにわたり、車輌長、東京支部男子部副責任者、世話人、献金推進委員、助教師等を務め、その間、東京信徒大会実行委員長の大任を全うするなど、精一杯の活動をしたのですが、
自らも日夜を問わぬ宗教活動や献金その他の金員拠出を厳しく強要される立場にあり、
結局、昭和57年末頃には2,000万円にも上る借金を抱えてしまい、
どう足掻いても莫大な額のガソリン代や交通費等のかかる宗教活動も、
教団から次々に強制される金員拠出の続行も無理という状態に追い込まれました。

 言わば、教団にとっては何の役にも立たない信者になってしまったわけです。

 そして、昭和58年1月に至り事実上の除名処分を受けることになったのですが、
入信から除名処分に至るまでの経緯の概要を簡単にお知らせ致します。

 私は元来、「パチンコもジェット機も知らなかった古代人ならともかく、この科学の時代に生きながら宗教なんか信じる奴は精神病の親戚みたいなもんだ。」と考えており、当然のことながら、正月の神社参拝とか合格祈願などバカバカしいにも程があると思っていました。
 ただ、35歳で神慈秀明会に入信するまでのいささか波乱に満ちた半生の中で、
「人間の善意こそが、最も尊ばれる価値観ではなかろうか。」と考えるようになり、
一方、ケースワーカーを勤めていたとき、病苦や貧困の実態に身近に接して心を痛めたことが、
後になって神慈秀明会に見事に洗脳される下地になったものと思われます。

 何しろ、神慈秀明会は「人の幸せを祈ることの大切さ」を説き、
一方、絶対の神力の持ち主である明主によれば難病も治ることになっているのですからね。

 さて、私は、昭和49年10月20日、石油業界では「その人あり」と知られたある実業家の娘に当たる信者(当時、世話人もしくは助教師)に
「××さん、世の中には頭で考えて解ることと、やってみて初めて解ることがあるのですよ。私達のやっているのは、その後の方のことなのですよ。」とか
自分のことしか考えられないような人達が段々増えていく社会をこのまま放っておいてよいだろうか、
ということからも私達は立ち上がったのです」などの実に熱のこもった2~3時間にも及ぶ説得を受け、東京支部で入信しました。

 入信後、教団側の言う「絶対の救い主たる明主様なればこそ起こせる奇蹟、奇瑞」を体験し、
「世界人類滅亡の危機が迫っている。それを救うには神慈秀明会の明主様信仰しかない」という教義を信じるに至り、
教団側のどんな無理難題に対しても反発せず、指示を受ければ命がけと言っていい程の奉仕さえ厭わない信者になりました。

 たとえば、昭和50年の国鉄のストライキのときは、役付信者達の輸送のため、ある晩、本部(京都)を出発して徹夜で車を運転して東京支部に着き、そのまま職場に出勤して夕方まで仕事をした後、そのまま東京支部に参拝して、再び本部に向けて徹夜で車を走らせたこともありました。
二晩とも、自分一人だけの運転です。

 もっとも、入信1年目のこの「連続二晩徹夜運転」など、その後の7年に比べれば未だ楽な方でした。
即ち、男子部副責任者や世話人等の役を、時には重複して押し付けられ、責任を厳しく追及されたその後の7年間は正に信仰地獄でした。

 休日は早朝から、そうでない日は仕事が終わるとすぐ東京支部に駆けつけて宗教活動に従事するのですが、
どんなに一生懸命頑張っても途方もない数の「お導き(勧誘)」ノルマや、莫大な額の献金達成は難しく、
しばしばT×元東京支部長の指導を戴くことになるのですが、
「指導」とは要するに、怒鳴られ、満座の中で立たされ、あるいは長時間正座させられるというようなことです。

 しかも、「指導」は大抵深夜の12時頃行われ、月に2~3回は未明まで続くこともありました。
当然、フラフラの状態で出勤することになります。
 加えて、親が危篤でも出勤しなければならないような大事な日に、宗教行事のために職場を休むこともあり、当然軋轢が生じます。

 H×元東京支部長が、私を叱責ないし罵倒するときの常套手段は「お役所仕事やないんやで!」とか「役所の仕事をやっとるつもりか!」というようなものでしたが、
役所というのは、少なくとも東京都庁という所は、世間の人が想像するほど甘くはありません。
 有給休暇と生理休暇の組み合わせで余りにも身勝手な休み方をしていたために、結局退職させられた女性職員の例や、
法学部出身でバランスシートの見方が分からないのに、その能力が必要なポストに配点されることになり、52歳で自ら辞職せざるを得なかった係長の例もあります。

 当然、私の勤務状態も職場で問題となり、一般職員からは「あれでも係長か!」という声が挙がり、
上司から「公務員としての良心があるなら、宗教を取るか仕事を取るか選ぶよう」迫られたことも一度や二度ではありませんでした。
 正に、職場は針のムシロでした。
 もっとも、「教団内にあっては信仰地獄、世間では針のムシロ」を味わっていたのは私一人ではなく、
「本当に大切に思っている人には、とても入信は勧められない」と思わず本音をもらす世話人もいました、
それでも、教修第2講を終えた未信者が入信を渋れば、「あなたの幸せを思えばこそ、こうして熱心に(入信を)お勧めしているんですよ」と猫なで声を出さなければならないのが世話人の立場なのです。

 通常の神経の持主なら、このような建て前と嘘が充満する教団に身を置くことを耐え難く思わずにはいられないのですが、
実際には誰もそれほど気にはしていなかったようです。
というのは、毎日毎日H×元東京支部長や宗務委員や教団教師から厳しく責めつけられているので、
そういう感覚はかなり鈍ってしまったようです。

 かく申す私も、実はそれどころではありませんでした。
 というのは、私の場合は、
酷いときには月に6回も東京・本部間を往復させられる活動費や
神苑献金(1,500万円)、東京支部建設献金(300万円)、その他の諸々の拠出金
のため、
2,000万円もの借金ができてしまい、
自己破産寸前という状態だったのです。
 もしそうなれば、懲戒免職とまではいきませんが、論旨免職は覚悟しなければなりません。

 それでも尚、教団側の金銭的要求は緩むことはありませんでした。
 昭和57年12月のことですが、H×元東京支部長に対するお歳暮か何かの奉仕金の一部が未納になっていることを責める電話が
教団教師から職場にかかってきて、厳しく催促されました。
 耳をそばだてている周りの気配に冷汗の出る思いで「申し訳ないけど、今、仕事中ですから・・・」と言って電話を切ると、
すぐまた電話がかかってきて「話は未だ終わっていないでしょう! 一体、いつ納めるつもりですか!!」と語気鋭く迫られる始末です。
 仕事が終わればただの一日も休むことなく私が東京支部に駆けつけているのは、その教団教師も知っているのです。
 それなのに、わざわざ職場に電話をかけてくるというのは、
もはや「催促」ではなく「恐喝」
と言うほかありません。

 しかし、「恐喝」にしろ「催促」にしろ、これに応じる手立てはもはや私にはありませんでした。
そして、助教師として活動するための活動費を捻出する力もありませんでした。
 それでは、どうしたら良いか・・・。
 知れたことです。一般信者になることです。
 しかし、まともに交渉したのでは助教師を降りることなど認められるわけがありません。
 もし、そんなことを認めたら、我も我もと助教師が一般信者になるケースが続出するのは火を見るよりも明らかです。

 そこで私は、翌年(昭和58年)1月3日の東京支部助教師会(そこでは、1年間のお導き数や献金等について種々のノルマが課せられ、必ず果たす旨約束させられます。)を欠席し、
一般信者になる決意を表明しました。

 ところがその後は、東京支部に参拝に行くと、M×S×教団教師から「ここは、君のような者の来るところではない!」と怒鳴りつけられて追い出されたり、
K×K×教団教師から、東京支部長命令として、支部内への立入り禁止を告げられたりして、
言わば事実上の除名処分を受けたわけです。

 私は、入信以来8年間にわたって拠出した数千万円の金員のうち、
信者としてそこに立入れるという前提で拠出した神苑建設献金1,500万円と東京支部建設献金300万円は、
その前提が無くなってしまったのだから返還されるべきものと考えて、
昭和61年、神慈秀明会に対して不当利得による返還請求の訴訟を起こしました。

 ところが、証人として出廷したM×S×教団教師の
「神苑建設献金は、信者ひとりひとりが年頭に献金額を自ら申し出て、それを集計したものが各支部の献金目標額となる。教団本部から各支部に割り当てるというようなことはしていない。」
と言った類の嘘の証言が裁判所で認められ、教団側の主張が通り、私の全面敗訴となりました。

 ちなみに、法廷で嘘の証言をすることは犯罪で、10年以下の懲役刑が定められています(刑法第169条)。

 まだまだ大事なことが色々とあるのですが、いずれ集会でも開いてそのときお話しするつもりです。 


 原告の東京支部元助教師は、神慈秀明会独自の"桃の実献金(1口100万円)"の発案者です。
 桃の実献金は彼の発案により、昭和54年(1979年)3月に誕生しました。
 その経緯が本人から証言されています。
 神慈秀明会被害ネットワークHP>過去の裁判情報>原告からの投稿2

1979年発案 桃の実献金の誕生≪発案者本人からの証言≫

 “桃の実献金”が大分問題になっているようなので、
 その発案者として此れの由来について述べておきたいと思います。それは、次のようなことです。

 昭和54年3月、ほぼ完成していた新東京支部の赤いじゅうたんの上で、
 支部長以下主だった信者が、
 ある重要な案件について相談していました。

 実は、毎年4月8日は東京支部の創立記念日で、東京信徒大会を開くのだが、
 勿体なくも毎年会長先生がお見えくださる―――。
 ただお迎えするというのでは申し訳ないので、
 新年から4月8日迄のお導き数の目標を定めて、その目標の達成をもって、
 わざわざお越しくださる会長先生に対する謝意の表明としているのだが、
 今まで一度たりとも達成できたことがない―――。
 今年も「*百名」という目標を掲げた迄は良かったが、
 今日迄で僅か**名では、来月8日迄に達成するのはもはや不可能―――。
 従って、今年はそういう目標は無かったことにしようか、どうしようか、という相談でした。

 そのとき私が提案したのが、
 「百はモモと読むのだから、黄泉平坂の故事に因んで100万円の献金を“桃の実献金”と称して、
 これを100個積み上げて、その成果を、わざわざおいで下さる会長先生に喜んで戴く、ということにしてはどうか。」というものでした。

 最初は誰一人賛成しませんでした。
 「そんな物凄いことが出来るわけがない。気は確かか?」とまで言う者もいました。
 何しろ、桃の実献金100個と言えば1億です。
 しかし、他に何か会長先生に喜んで貰えるような目標を設定できるか、というと何も思いつくことができません。
 結局、「やれるもんならやって見なはれ。但し、責任はあんたやで。」という支部長の鶴のひと声で決定しました。

 それで私は、白、緑、青、ピンクの布地を買って来て、洋裁の得意な世話人に頼んで3着の陣羽織を作って貰い、左右の胸と背中にピンクの桃を縫い付けました。
 私や私の配下の男子部信者等がそれを着用して、
 最近入信して未だ経済的に余裕のある信者をターゲットにして明るく呼びかけるというやり方で献金を募りました。
 つまり、十分に洗脳済みの、しかし、既に多額の献金をしていて経済的に疲弊している信者を責めつける、という方法を改めたわけです。

 これは成功しました。
 何となく「やろうじゃないか!」というムードが盛り上がって、
 いつものような教団教師の叱責や困り果てた信者の涙などもないまま、
 期限ギリギリではありましたが、“桃の実献金”100個が積み上がりました。
 勿論、会長先生も大変喜んで下さいました。

 以上が“桃の実献金”誕生の由来です。
 要するに私は、信者を責めたり追いつめたりする全ての御神業の形を改めたかったのです。
 そして、この時点ではそれが成功したのです。

 しかし、結局“桃の実献金”はその後、
 信者を苦しめる方向で運用されて行くことに
なった・・・。
 それを考えると暗澹とした気持ちになります。
 私は、信者各位に対して悪いことをしてしまったのでしょうか?


 ”桃の実献金”は明主様ではなく小山荘吉に喜んでもらうために発案されたものでした。
 昭和54年(1979年)頃はまだ、お導きの目標達成は所属の自主目標だったことがうかがえます。
 しかし、この頃にはすでに東京支部長以下教団教師が叱責し、多額の献金をさせ経済的に信者を疲弊させています。
 会主会長が喜ぶ高い(過大な)目標達成を掲げなければならなかったことがうかがえます。
 この御神業の形を改めたかった助教師の発案により誕生したのが”桃の実献金”でした。

 1億円が短期間に集まったことに喜んだ小山荘吉が会主に報告した結果、
 結局“桃の実献金”はその後、全国の信者を苦しめる方向で運用されて行くことになりました。
 発案者の助教師もその後多額の献金に疲弊し、一般信者になろうとしたところ、支部長に逆らったことにより支部内への立入り禁止を告げられ、事実上の除名処分を受けたことにより裁判を起こしました。

 教祖の岡田茂吉は「信仰の合理性と再浄化」(聖教書P389)で、
 ”そうして感謝の誠を捧げる場合、仮に金銭にしても、多い少ないは問わない。分相応の最大限度であればいいのである。神様は何もかも御存知だから、無理をせずとも御許しになると説いていました。
 そう明主様は”何もかもご存知”のはずです。

 それなのに明主様は、信者を追いつめ無理をさせる会主会長教師たちに”お気づき”を与えることなく許し、追いつめられ無理をし経済的に疲弊している信者を許しませんでした。

 ネットで元信者たちが証言する神慈秀明会に共通することで、私が思うことがあります。
 明主様が守ったのは、信者に無理をさせる会主会長教師たちでした。
 明主様に許された教師をはじめとする信者らは、許されなかった信者たちを、
 「曇りが多かった」
 「浄化が厳しかった」

 などの教祖岡田茂吉の言葉を使い、冷たく切り捨てます。
 そこには岡田茂吉が説いた、”暖かさ、思いやり”は一切ありません。
 そのことに不満を持つものを、「悪の心言行」を行うものとして、
 ”不平不満の心は、悪魔につながり、心は汚れ、不幸になる”として排除しています。
 教祖言が、力を持つ者の都合のいいように使われています。

 ”桃の実献金”の発案は、”黄泉平坂の故事に因んで”されました。
 ”黄泉平坂の故事”を明主様の教えに結びつけた講話を、会主が昭和56年(1981年)にしています。
 ”桃の実献金”誕生の2年後です。
 そして会主のお墨付きをもらった”桃の実献金”が全国に拡がりました。
 明主様も”桃に関する奇跡”を起こして応えました。
 そのことを、岡田茂吉を教祖とする明主様信仰団体の信者の交流掲示板である「明主様一つの波紋3」に、秀明信者でありながら、会には内緒で”世界救世教いづのめ教団”、”新健康協会”の信者でもある"一番さん"が投稿しています。

”黄泉平坂の故事”を明主様の教えに結びつけた会主の講話
その後の秀明会の桃(百)にちなんだ活動の様子
   

 明主様教団を色々とお尋ねしましたが、桃を教団の柱にして実践するところは神慈秀明会だけですね。  
 私が入信した 昭和56年5月頃、4月から桃の記事が秀明紙に載ってますね。  
 秀明紙 昭和56年4月10日発行 第133号

 

 〘教祖言〙  
 『三千年目に聖王母の園に桃の実が1つなり、その実は転輪菩薩で、それが世を救うと伝えられていますが、その転輪菩薩が観音様であります。』

 お詠『聖王母育(はぐくみ)ませし桃の実は、聖(しよう)観音の生身霊(いくみたま)なるも』

 復活祭 お言葉  
 ❲桃、三話〙(会主)  
 「明主様信仰の道は開けに開けて・・」  
 復活祭おめでとうございます。先ほど会長がご神前で祝詞を奏上をさせていただきましたが、一言一言感無量の思いでございました。

 次に祝詞とご讃歌に移りましたが、例年のことながら胸の高鳴りは止めようもなく、じっと立っているのが精一杯でございました。

 顧みますと45年3月1日、熱海へ離脱の通告を出し  
 当時のここの 月次祭は3月3日で、私はそのみ祭りにのぞみ、ただならなる 緊張の中にいつものように順番に上げさせていただくページをめくりますと、  
 ちょうど今のお詠にあたりました。月次祭と申せば 月間行事の中でも一番大切なみ祭りですですから、  
 明主様の御言霊は魂に突き刺すように鋭く応え、また暖かく包み込みお励みを頂いて尊さ かたじけなさに感謝の涙を止めようにもございませんでした。  
 それに先立ちまして 1日に 助教師 当時の助師、それから2日に世話人を集めて 離脱もやむなきに至った道すがらを、時間をかけて説明しました。  
 質問にも答えたのですが、あまりに突然であり予期しなかった事柄だったので、皆さんがしっかり受け止めていただけたとは申せないようでした。

 熱海側は 人々の心の波立ちや 戸惑いをついて、まず第一に 他の教会長と姻戚関係にあった支部長やその家族を手なずけ、  
 次に 機関紙によく記事を頼んできた信者を籠絡(ろうらく)しました。  
 そして 幹部や会長たちが、入れ替わり立ち替わりその支部に乗り込んで占拠しました。  
 東京に話し方教室というのがあり、そこで話術を学んできたものを起用して、専任の京都教会長に任命し、その上教主も担ぎ出し 今までしたこともない愛想を振りまかせ、己を正当化しようと それこそおぞましい攻撃をかけてきました。

 ことの成り行きを冷静に見れば、誰しもおかしいなと気づくことばかりなのに、  
 悪人の常套手段である自分の都合の悪いことを うまくすり替えてしまって、  
 判断の目を狂わせ、私と会長も明主様に弓を引く大逆人に仕立て上げる始末。

 その上 正しい観点からではなく 自分たちの都合で強引に教主を象徴に祭りあげておきながら、それをおくびにも出さず こちらに向かっては大恩ある教主に背いたけしからん奴と、口はば たくて言えないようなことを、どんどん吹き込みました。

 その上 人それぞれに甘い餌を目の前にちらつかせて、おびき寄せるなどあくどい切り崩しを、しつこく繰り返しました。  
 御教えさえしっかり腹に入っていれば、その愚かさは 見え透いているのですが、  
 ともかく 両方の話を聞かなければわからないのではありませんかと、言われればそれもそうだなと思って彼らの誘い手に乗ったものはほとんど、  
 罠にかかって落ちていきました。  
 また一方では役人に働きかけて 離脱を認めさせないようにし 、この本部を乗っ取ろうと強引な策を弄し、柔剛ない交えての修羅場でございました。

 しかし彼らの拠り頼んだ錦の御旗には、もう御神霊は在さず、当日のお歌 88ページのお示しの通り、8の字は開くの意、末広がりを意味するように、明主様信仰への道は開けに開けていたのでございます。  
 なんと尊い明主様のご神示でございましょう。

 (中略)  
 〘玉と桃をくださった〙  
 話は変わりますが、3月には毎年御神前に桃の花を入れております。  
 ちょうど時候柄でもあり、また 桃の節句 と申すように 3月3日のひな祭りには 草餅、菱餅や白酒とともに、桃は昔から欠かせない花でございます。  
 ここで 教祖祭に引き続いて桃3話とでも申しましょうか、前にも申しましたが明主様は、  
 『昔から 5節句やお伽話、謡曲、常盤津、長唄などに謎や神秘が秘められてある。  
 それは皆神様が今度のことを準備されたのであります。』  
 とおっしゃり ひな祭りについて、  
 『桃の花祝ふ3月3日のいわれ、世人と覚えらむ時近みけり』  
 『女子のたのしき雛の み祭りにも、大いなる謎秘められありぬ』  
 のお歌をお残しになりました。3月3日は離脱を信者につげる意義深い月次祭でございました。

 黄泉比良坂の戦いに、桃の実を投げて邪神軍を撃退された古事にありますように、  
 昔から桃は悪魔を払い 不浄を浄める花、めでたい花とされていて、宮中の古式な行事にも取り入れられると聞いています。  
 梅の花のように 凛とした気高さはなくても、いかにも春らしい 暖かさを感じます。  
 まだ素朴な気取らぬ初々しさがあり、どこか野暮ったさはありますが、若さが溢れている感じです。  
 娘さんの日本髪にも桃われというのがありますが、桃の花を見るとすぐそれを連想いたします。

 次に”桃源郷“という言葉を知っておられましょうが、 俗世間を離れた別天地、いわゆる仙郷を指すのですが、  
 私どもは現実にはこの世に住んで、浮世もしがらみに揉まれ、しごかれて色々な苦しみはありましても、魂は  
 明主様に繋がらせていただいているのですから、明主様を信じまいらせて、心はいつも 桃源郷にあって 春日のうららかさを持っていたいと思います。

 また今日は 新教師の誕生、分けて初の外人教師が生まれました おめでとうございます。  
 続いて 助教師や講師の方々の資格の 拝命もございます。”桃門に満つ”という言葉があります。  
 これは優れた人材が門下に満ちるという意味ですが、  
 明主様信仰の優秀な使徒として、今後しっかり活躍してもらいたいし、また皆さん方の中からも続々と輩出して欲しいと願います。

 *終わりに 桃にちなんで とても嬉しい報告がございます。  
 その前にこの絵をお目にかけます。これは何でしょう。  
 (桃が描かれた瓦2種と、如意宝珠が描かれた瓦の絵)、  
 そうです 瓦です。 実は前から日本の古い建物の中で良いものが見つかれば是非欲しいと願っておりましたが、図らずも 手に入りましたので 解体しましたら、こういう 瓦が見つかりました。

 この瓦の模様は何でしょう。そう玉です。如意宝珠、麻邇(まに)の玉でございます。  
 瓦に宝珠の絵柄があるのです。もう一つの絵柄 これは桃です。

 *玉と桃を明主様がくださったのです。

 なんと 嬉しいことでしょう  
 私は特別な教養とてなくただ精一杯 何にでもお役に立たせていただきたいの 一 心だけで動いているのですが  
 明主様が全てに渡って上から 段取りをつけてくださって、このようにお恵みをいただけるのですね。  
 如意宝珠と桃、  
 もうこれ以上申すことはございません。ありがたくもったいない次第でございます。  
 今はただ ご報恩あるのみでございます。」


 ここが始まりですね。  
 ここから 桃に関する奇跡が起こり始めましたね。  
 布教に出たら雨粒が桃の形をしていたとか他、  
 ここから桃は百だから、桃の実献金が発生したんでしょうね。  
 桃(百分)の拝読、桃(百人)のお救い、桃の浄霊、今でも支部には桃のシールを貼ってますね。

 (私の拠点では1年かけて1人で100名導いた青年がいました)1つ1つ 自分たちの目標が達成したら、そのシールを貼っていきますね  
 これは他の教団にはありませんね。  
 明主様一つの波紋3 神慈秀明会と桃- 一番2025/12/30より  
 


 "一番さん"は古い秀明(秀勉)信者です。
 そういう信者が、会主の”桃3話”の講話をきっかけに、
 ”ここから桃は百だから、桃の実献金が発生した”と証言しています。
 ”桃(百分)の拝読、桃(百人)のお救い、桃の浄霊、”と”桃(百万円)の献金”が、ここから始まったと。

 当時の多くの信者が"一番さん"同様に受け取ったのでしょう。
 ”会主の講話”から、”桃(百万円)の実献金”が全国で推奨されるようになりました。

 しかし、元信者が平成14年(2002年)3月8日着の内容証明郵便にて神慈秀明会に対し詐欺に基づく献金の返還請求を行ったが、神慈秀明会が返還に応じなかったので行われた調停では、
 神慈秀明会は、”本部としては、このような献金を特別に設けた事実はない”と弁明していました。
 原告側が、本部行事で繰り返し、”信者に百(桃)の実献金(100万献金)をするよう促している”と反論しているように、
 この裁判で”神慈秀明会が違法行為”と最高裁で認められた2009年の後でも最近でも、”桃の実献金で頂いた感謝報告”は秀明紙で当たり前のように何度も取り上げられています。
 新興宗教から守ろう 「神慈秀明会は違法」最高裁判決
 神慈秀明会被害ネットワークHP>裁判情報>秀明会の言い分(調停)
 明主様一つの波紋3 先祖は、病気災難等を起こしてまで、私たちに徳を積むよう訴えてくる - 神慈秀明会 新聞2025/12/23より

 (話しがそれますが、この会主の離脱の講話には虚言が含まれています。
 ネットではすでにあかされています。
 ”離脱の神意”の項目で今後紹介させて頂きます。)

 2003年に調停での弁明で桃の実献金を、”本部としては、このような献金を特別に設けた事実はない”と否定した神慈秀明会ですが、
 2006年に起きた横浜東戸塚の拠点建設反対運動では住民説明会で、
 国際布教センター名誉顧問は「桃の種・実・木献金は存在しない。ネットで流布されているだけ。」と言い切っています。

 この国際布教センター名誉顧問は、「桃の実献金誕生の瞬間」に立ち会っていたはずという証言もあります。
 家族を新興宗教から守ろう>集会所建設反対掲示板過去ログ>そもそも桃の実献金は東京支部から生まれた 投稿者:いつもの通りすがり 投稿日:2006/07/20
 2006年 横浜市東戸塚上品濃地区≪桃の実献金は存在しない!?≫

 高額献金である”桃の実献金”が非常識なもので、会主による講話が外部には通じないという認識があるのでしょう。

 ”嘘つきは泥棒の始まり”とはよくいったものです。

 桃の実献金は発案者の、
 ”信者を責めたり追いつめたりする全ての御神業の形を改めたかった”
 という思いとは正反対に、教祖殿建設のために
 ”信者を苦しめる方向で運用されて”いきました。

 とある関西の元青年信者(ルビーバチュラー)がブログに、教祖殿・神苑建設献金がどのようにして集められたのかを証言しています。
 アメーバブログ パラミタ、発動す>哀しい神慈秀明会>7.宗教組織運営の実態

とある関西の元青年信者(ルビーバチュラー)の証言・宗教組織運営の実態≪教祖殿・神苑建設献金≫

 宗教団体がどのように維持運営していくのか。
 それはすべて信者による布施・寄進です。
 「○万円出せば病気は治ります」といった現世利益、
 「○万円出せば先祖の因縁は取れます」という恐怖信仰をちらつかせば、
 面白いようにお金は集まります。
 大きな組織になれば、それは凄いものです。

 

 ぼくは大学生部に所属していた時に献金推進委員を担当し、
 ぼくの父も支部の献金推進だったので、お互い目の当たりに、
 いかに宗教はお金が集まるかを見てきたのです。

 

 大学生部でも月に数百万円、
 支部単位だと数億円が集まってきます。
 月に1回、集めた献金を本部に届けていたのですが、
 ある時、全国の支部、大学生部、青年部から集まってくる莫大な献金の山を目撃しました。
 大きな会議用の机を1カ所に寄せ、その上に札束が山積みになっていました。
 その高さは人の背丈を軽く超える山となっており、その山がいくつもあったのです。

 

 当時は、桃の実献金が真っ盛りで、
 大学生でも100万円する信者がいくらでもいました。
 幼い頃からもらったお年玉やバイト料を溜めていたというのや、
 実家の親に黙って銀行通帳を持ち出して引き出したり、
 金融関係に借金したりして出していたのです。
 実家の通帳を持ち出した場合は後で大事になるのは当たり前で、
 「子どもが騙されている」と警察沙汰はよくあり、裁判もありました。
 金融関係は、学生ですからなかなか返せません。
 となるとやはり実家の親に泣きつくか、夜逃げです。
 大学も退学し、実家にも帰らず、どこへ行ってしまったのか。
 そんな大学生がたくさんいました。

 

 さて、山積みになったお金を前にしていると、感覚が麻痺してくると、父とも後でよく話をしたものです。 

 

 1000円を稼ぐにも、遊んでいてはもらえません。
 人が汗水たらして得たお金、苦しい家計の中を必死でやり繰りして捻出したお金は尊いものです。
 ということを、いつしか感じなくなるのです。
 莫大なお金がいとも簡単に集まってくると、
 「あの人はずいぶん出したな。出そうとおもえば出せるんや。この調子で来月もたくさん出してもらおう」「この人は今月ちょっと少ないな。来月はもっと出させよう」というように、
 毎月のノルマに幹部たちは守銭奴と化していたのです。

 

 献金の目的は、
 「地上天国建設のため」「家内安全のため」「病気平癒のため」「因縁払拭のため」がほとんどでした。
 「献金は大切なお金を出すという身を削るようなつらさがあります。
 それが禊ぎになり、神様が喜ばれます。
 そして天国への貯金となって、あの世へ行ったら贅沢な暮らしができるのです」

 

 今となっては笑わずにおれません。
 人間をつくった神様が、人間の作ったお金を求めるでしょうか。
 お金は人間社会で通用するもの。
 この世を調和させる手段の一つです。宇宙の運営にお金など必要ありません。
 例えば、人間に必要な太陽の光は、神の恵みです。
 これがないとあらゆる生物は生きていくことができません。
 ならば、その太陽からは請求書が届くでしょうか。
 一人ずついくらか払えと求めてくるでしょうか。

 

 つまり、宗教での献金は死金です。まったく生きていません。
 「何に使われているか分からない献金をするよりも、困っている人に、例えばユニセフとかに寄付するほうがいいんじゃないですか」と質問する青年はよくいました。
 「たとえ君が1万円をユニセフに寄付しても、それは一過性のもの。その日は食べれても翌日はもう食べれない。持続性がない。それだけで終わります。
 神様に献金すれば、魂が救われるのです。
 ユニセフに魂は救えないでしょ? 食べるものや着るものがいいのか、それとも魂が救われるのがいいのか。どちらに価値があると思いますか?」
 と教師たちは答えていました。
 うーむ。へ理屈にもほどがある、情けない解答です。
 日本円でたった数百円のワクチンで途上国の子どもの命が救われます。1万円なら数十人が助かるのです。
 神慈秀明会ではそういうのにはまったく無関心でした。 

 

 ぼくは神慈秀明会を退会した後、世界の恵まれない子どもたちを支援する団体に寄付しています。
 それでいいと思っています。
 お金はあの世に持っていけません。
 あの世へは、現世で何をしたか、
 自分と世の中の調和のためにどんな努力をしたのか、
 その経験を刻んだ魂しか持っていけません。
 お金を求める宗教は、やがてすべてが淘汰されるでしょう。


 ブログの筆者は、大学生部の時にエリート、青年ルビー、そしてバチェラー
 筆者の父は、神苑建設の建設委員のメンバー
 母は支部の世話人。
 弟は成人部でカレッジ
 そんな信仰篤き一家が、
 母が「金の切れ目が縁の切れ目。もうこれ以上、お金が続かないし、気力も続かない」と退会したのを機に
 ぼくたちも次々と退会。
 今では「辞めて良かった。今はなんて幸せなんだろう」としみじみ語り合っています。
 と、1.神慈秀明会よ、どこへ行く。で記述しています。
 このページの冒頭で、
 ***
  神慈秀明会が世間を騒がしています。
  これまでも脱税やさまざまな訴訟問題を起こし、宗教としての存在意義が問われています。 
  ぼくの友人・知人がまだたくさん在籍していることを考えると、
  彼らが一日でも早く間違った宗教を信仰していることに気付いてほしいと願わずにおれません。
  元信者だったからこそ言えることがあります。
 
***
 と訴えています。  
 神慈秀明会がいかに間違った宗教であるかを知るために、ぜひこちらのブログの”哀しい神慈秀明会”テーマの1から9まで一読されることをおすすめします。

 ここでは、”訴訟問題”が、神苑建設の時から起きていたことに注目します。
 旧体制の時に問題になったのは、東京支部のあり方でした。
 新体制になったのは東京支部が、目標達成のために暴走したからだと当時のほとんどの活動信者が受け取っていたと思います。
 私もそう思っていました。
 ところが、こちらのブログ内の会話は関西弁です。
 関西地方といえば、神慈秀明会本部のおひざ元です。
 そこで、
 ***
  当時は、桃の実献金が真っ盛りで、
  大学生でも100万円する信者がいくらでもいました。
  幼い頃からもらったお年玉やバイト料を溜めていたというのや、
  実家の親に黙って銀行通帳を持ち出して引き出したり、
  金融関係に借金したりして出していたのです。
  実家の通帳を持ち出した場合は後で大事になるのは当たり前で、
  「子どもが騙されている」と警察沙汰はよくあり、裁判もありました。
  金融関係は、学生ですからなかなか返せません。
  となるとやはり実家の親に泣きつくか、夜逃げです。
  大学も退学し、実家にも帰らず、どこへ行ってしまったのか。
  そんな大学生がたくさんいました。
  
***
 旧体制末期で美術館建設当時の東京支部と同様のことが、神苑建設当時から関西地方でも行われていました。
 そして裁判が当時から起こされていたと証言しています。

 

 会の最高責任者である会主会長が知らないはずがありません。
 被害を訴える声に向き合わない方針を決定づけたのは、会主会長でしょう。
 2022年に安倍晋三元首相銃撃事件が起きるまでは、宗教被害に対する法律もなく世間にも理解がありませんでした。
 当時訴訟を起こされても神慈秀明会が負けることはありませんでした。

 

 美術館が完成間近だった1994年(平成6年)頃に、東京支部の元信者が裁判を起こしていました。
 担当弁護士はカルト問題に詳しい、紀藤正樹氏でした。 
 大判例 東京地方裁判所 平成6年(ワ)23699号 判決

1994年(平成6年)地裁判決 難病の子をもつ主婦(東京支部)≪MIHOミュージアム建設献金≫

東京地方裁判所 平成6年(ワ)23699号 判決
原告 神田紀子
原告訴訟代理人弁護士 紀藤正樹
同 杉山典彦
被告 松岡正子
被告 神慈秀明会 右代表者代表役員 小山弘子
被告ら訴訟代理人弁護士 杉本秀夫
同 神﨑浩明
同 櫻井義之

主文
一  原告の請求をいずれも棄却する。
二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求
被告らは、原告に対し、各自金2712万1000円
及びこれに対する平成4年4月21日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要
本件は、被告神慈秀明会の信者であった原告が
被告松岡正子(以下「被告松岡」という。)ら被告神慈秀明会信者の、
教義ないし指示に基づく組織的な欺罔脅迫行為などの社会的相当性を逸脱する行為により、
被告神慈秀明会に対して献金をさせられ、
また、被告松岡が被告神慈秀明会に対する献金を立て替えたとして原告にその返還を迫り、金員を支払わされたとして、
主位的に、被告両名に対して共同不法行為に基づき、予備的に、
被告松岡に対して一般不法行為、
被告神慈秀明会に対して使用者責任に基づき、
それぞれ損害賠償を請求した事案である。

争点は、
原告の支払った>金員の性格が何であるか、及び、
被告神慈秀明会ないし被告松岡ら被告神慈秀明会信者が、
原告に対して欺罔脅迫行為などの社会的相当性を逸脱する行為を行い、
原告をして金員を交付させたかどうかである。

一  前提事実(争いのない事実及び掲記の証拠により認められる事実)

1  被告神慈秀明会について

(一) 被告神慈秀明会は、
「岡田茂吉師を教祖と仰ぎ、
教祖立教の真精神を体して、『みろくおおみ神』を主神として奉斉し、
その教義をあまねく全世界にひろめ、
真理の見現により健富和の理想社会地上天国を建設するために、
儀式行事を行い、信者を教化育成」すること等を目的とする宗教法人である。

(二) 被告神慈秀明会の登記簿上の本部は京都市であるが、
宗教活動上の本部は滋賀県甲賀郡信楽町にあり、
全国各地及び海外に支部や集会所等がある。
各支部には支部長が置かれ、
以下、教師、助教師、世話人及び一般信者という段階があるが、
これは、被告神慈秀明会の規則等で定められたものではなく、
長年の慣習ないし慣行に基づくものである(弁論の全趣旨)。

被告神慈秀明会に入信するためには、
その教修の第一講及び第二講を受ける必要があり、
これを受けて入信した一般信者は、
まず特修会という初級の勉強会(一年間)を終了した上で、
一般エリート会という更に上級の勉強会(一年間)に進むのが通常である。

世話人になるためには、
過去一年間に10名以上の未信者を被告神慈秀明会へ入信させ、
かつ、その先10世帯10名以上の一般信者を
お世話
(本部及び支部への参拝、各信者の自宅での朝夕拝、み教えの拝読、
浄霊(約五分間相手の額に手をかざして相手の健康と幸福を祈ること)、
導き、奉仕活動の推進等のこと)する
能力があると支部長に認められ、その推薦を受けることを要する。

また、助教師、教師になるためには、
それぞれ被告神慈秀明会教学室の試験に合格することを要する
(甲第一号証、乙第一三号証、証人堀和子(以下「堀」という。)の証言(以下「堀証言」という。)、
原告本人尋問の結果(以下「原告本人」という。)及び弁論の全趣旨)。

(三) 被告神慈秀明会の教義の大略は、次のとおりである
(甲第一号証、第二四号証の一、二、乙第一三号証、堀証言、原告本人)。

この世には人々が現実に暮らしている世界(現界)と、
霊層界(天国、中有界及び地獄の三界が各六0段階に分かれ、計一八0段階の層をなしている。)が存在している。
現界の人々に起こる苦しみ(病気、貧困、紛争等)は、
自分の霊層界の段階に起因しており、
自分の霊層界を高めれば苦しみは解決の方向に向かう。
霊層界を高めるためには徳を積む必要があるが、
その方法としては、
①他人のために浄霊を行うことや、
未信者を勧誘して被告神慈秀明会の信者にすること、
②精神的又は肉体的に労働して
被告神慈秀明会に奉仕をすること、
③被告神慈秀明会に献金をすることの
三つがある。

(四) 被告神慈秀明会に対する献金には、
感謝献金と建設献金の二種類があり、
建設献金の中で、金額が決められている特別なものとして、
桃の実献金(100万円)と桃の種献金(10万円)がある(乙第一三号証、堀証言)。
被告神慈秀明会に対してされた献金はすべて同被告に帰属し、その運営資金に充てられている。

2  原告及び被告松岡について

(一) 原告は、昭和29年11月7日生まれの主婦であり、
昭和58年4月14日に被告神慈秀明会に入信し、
同年9月11日に特修会を終了し、
平成2年から一般エリート会に所属したが、
平成5年に脱会した。

(二) 被告松岡は、昭和16年8月16日生まれの主婦であり、
昭和57年9月28日に被告神慈秀明会に入信し、
特修会、一般エリート会を経て、
平成3年12月21日から世話人になったが、
平成6年12月20日に世話人を辞めている。

(三) 原告は、昭和52年12月4日、東京都品川区の関東逓信病院において、
長男Kを出産したが、
Kは、二分脊髄と水頭症という二つの難病に罹患しており、
手術のため、同病院に入院しなければならなかった。
被告松岡が同年10月21日に出産した長男Mも、
心雑音及びチアノーゼのため同病院に入院していたが、
昭和54年2月から、KとMは同じ病室になり、そのため、
原告と被告松岡は次第に親しくなっていった。
そして、両名は、それぞれの子供が退院してからも、たまに連絡したり会ったりする仲になった
(甲第一号証、乙第一二号証、原告本人、被告松岡本人尋問の結果(以下「被告松岡本人」という。))。

二  原告の主張

1  原告が被告神慈秀明会に入信し、献金した経緯

(一) 原告の入信に至る経緯

原告は、昭和58年2月ころ
被告松岡から、被告神慈秀明会のことは知らされないまま、
東京都世田谷区深沢の被告神慈秀明会東京支部(以下単に「東京支部」という。)に連れて行かれた上、
被告松岡に言われるまま、
被告神慈秀明会の教修の第一講を聞かされ、浄霊を受けた。
そして、被告松岡や当時被告神慈秀明会の助教師であった貝森恵子(以下「貝森」という。)らから、
熱心に被告神慈秀明会への入信を勧められ、
翌日には教修の第二講も聞かされたが、
その時は入信しなかった。

しかし、その後も、被告松岡は、
宝塚劇場での被告神慈秀明会の信徒大会に原告を誘って参加させ、また、
当時東京支部の助教師であった堀と共に
いきなり原告宅を訪れて半ば強制的に原告を東京支部に連れて行くなど、
東京支部を挙げての強引な説得工作が行われた結果、
ついに、原告は、昭和58年4月14日、被告神慈秀明会に入信させられるに至った。

(二) 原告の入信直後の状況について

(1) 原告は、入信から約四か月後、
「一泊参拝団」という、泊まりがけで支部長の講話などを聴く行事に参加させられた。
ここで、原告は、東京支部の支部長である橋本孝子(以下「橋本」という。)から、
あなたの子供が脊髄の病気にかかっているのは、
あなたの先祖に子供と同じ病気だった者がいて、未だに浮かばれないため、
子孫に同じ病気の子供を作って訴えているのだ。」

と言われ、続いて貝森や世話人の上岡から、
先祖の霊を慰めるためにはおすくい
駅前に立ったり個別訪問をしたりして未信者に浄霊をし、支部や集会所等に誘って話を聞いてもらうこと)か
献金をして徳を積まなければならない。
献金は霊界に貯金することで、
これをすると先祖が喜ぶ。献金の額は多ければ多いほどいい。

と教えられた。

(2) これと前後して、原告は、被告松岡から、
「霊の力は大変に恐いもので、先祖の霊が怒ると、人を死に致すなどたやすいことだ。」とか、
「不倫などをすると、先祖の霊が怒って、弱い子供、特に長男や長女に浄化(例えば、死、病気という形で霊が訴えること)する。

などと聞かされていた。

(3) また、原告は、被告松岡から
常々「自分は霊感が強く、先のことが分かる。」と言われ、
被告の夢の中に、
原告の先祖らしい人が体にナイフか刀の突き刺さったままの姿で現れたとか、
死んだ原告の養母が現れて、
松岡さん、300万円出します。」と言っていたなどと聞かされていた。

(4) このころ、原告は、
当時発覚した夫の不倫について被告松岡に相談していたが、
原告は、被告松岡や橋本を始めとする被告神慈秀明会の信者から、
(1)ないし(3)のような言動を執拗に繰り返されたため、
身障児である長男Kだけでなく、
長女T(昭和57年2月15日生)にまで
災いが及ぶおそれがあると思い込まされ、
それを避けるためには何としてでも金を集めて献金をし、徳を積まなければならない、
という畏怖、誤信状態に陥っていった。

(三) 献金

(1) 三回の桃の実献金

① 原告は、昭和五八年秋、初めて、
被告神慈秀明会から桃の実献金(100万円)を要求された。
前記のとおり畏怖、誤信状態に陥っていた原告は、
先祖の霊を救うため、無理をしてでも献金をしなければならないと考え、
30万円を自分で用意し、
70万円を世話人の真崎から借り入れた上、
被告神慈秀明会に対して桃の実献金をした(別紙一覧表①)。

② 原告は、昭和63年5月にも、
被告神慈秀明会から桃の実献金を要求された。
原告がお金がないと言うと、
堀や世話人の真崎は、原告に対し、
東京支部の信者に夫になりすましてもらって都民銀行に行き、
同銀行で夫名義の借入をして資金を作ることを勧めた。
原告は、昭和62年7月19日に養母を癌で亡くしていたこともあって献金を決意し、
堀らの勧めに従って都民銀行から30万円を借り入れ、
また、被告神慈秀明会信者の石田から70万円を借りて100万円を作り、
桃の実献金をした(別紙一覧表②)。

③ 原告は、平成元年4月、
従前から気管が弱く肺炎を繰り返してきた次女N(昭和62年4月4日生)を
昭和63年11月26日に呼吸循環不全で亡くし、

肉親の相次ぐ死亡に自分の運命を呪いたくなる気持ちになっていたところ、
被告松岡から、死んだ養母と二女が地獄の近くでさまよっているなどと脅迫されたため、
居ても立ってもいられない精神状態になり、
再び、東京支部の信者に夫になりすましてもらい、
都民銀行でローンを組んで100万円を借り入れ、
桃の実献金をした(別紙一覧表③)。

(2) 被告松岡に対する金員の交付

① 原告は、度重なる家庭の不幸による極度の精神的疲労と子供を思う気持ちとで、冷静な判断ができる状態ではなかったが、
その後も被告松岡ら被告神慈秀明会信者による継続的な欺罔脅迫行為を受け、
様々な金融機関から借金して献金を続け、
電気、ガス等の公共料金を支払えないほどの窮状に陥っていった。

② そんな中、被告松岡は、平成2年ころ、
原告に対し、献金のための資金を立て替えてくれるようになった。
借金を重ねていた原告は、他からのそれ以上の借入が困難な状況にあったため、
被告松岡の右の立替払いの申出を受けざるを得なかった。

③ ところが、そのうち、被告松岡は、
原告に何の相談もなしに勝手に
原告や原告の子供たちの名義で献金し、
右献金分の支払も原告に請求してくるようになった。

被告松岡は、原告に対し、
「あなたの名前で献金したということは、あなたは先に徳を頂いていることになるから、それを返さなければ霊的借金が残ってしまうことになるのよ。」
「返さないわけにはいかないのよ。」などと述べ、
さらに原告の職場に督促の電話を掛けるなど、
強硬な取立てを行った。

原告は、ただただ子供たちに先祖の霊が浄化することを恐れ、
被告松岡に対する霊的借金を返さなければという思いだけで必死になって働くとともに、
更にサラ金や質屋などから借入れをし、
別紙一覧表のとおり、
被告松岡が指定する場所に現金を持参して手渡したり、
同被告が指定する銀行口座に振込送金したりして、
計1192万1000円を支払った(別紙一覧表④⑥⑦⑨ないし)。

さらに、被告松岡は、平成3年12月及び平成4年8月、
原告の養父神田慶治方を訪れ、同人に対し、原告の債務の返済を迫り、
二回に分けて計720万円を取り立てた(別紙一覧表⑤⑧)。


被告松岡は、原告に対する現実の取立てに先立って
被告神慈秀明会に献金しており、また、
原告から取り立てた金員も、被告神慈秀明会に対する献金としていたものである。

2  責任原因

(一) 被告松岡
被告松岡は、被告神慈秀明会の教義ないし指示に基づき、
他の信者と共に、原告に対して欺罔脅迫行為などの社会的相当性を逸脱する行為を続け、
原告をして誤信、畏怖状態に陥れ、
献金ないし献金の立替金名下に多額の金員を交付させたのであるから、不法行為責任を負う。

(二) 被告神慈秀明会

(1) 共同不法行為(主位的)

(一)のとおり、被告松岡を始めとする被告神慈秀明会信者は、
被告神慈秀明会の教義ないし指示に基づき、
原告に対して欺罔脅迫行為などの社会的相当性を逸脱した行為を続けたものであるところ、
これは、被告神慈秀明会の献金ノルマ達成を目指して、
その上意下達的な組織を挙げて行われたものであり、
被告神慈秀明会自体の行為と評価するべきであるから、
被告神慈秀明会自身も不法行為責任を負う。

(2) 使用者責任(予備的)
仮に、(1)の被告神慈秀明会自身の不法行為責任が認められないとしても、
被告松岡は被告神慈秀明会の信者であり、
高度に組織化された被告神慈秀明会の被用者であるといえ、
被告松岡に関し、
(一)のとおり被告神慈秀明会の事業の執行についての不法行為が成立するのであるから、
被告神慈秀明会は使用者責任を負う。

3  損害

原告が被告らの不法行為によって受けた損害は、左記(一)ないし(三)の合計2712万1000円である。

(一) 被告松岡ないし被告神慈秀明会に支払った金員

計2212万1000円

原告は、被告松岡ないし被告神慈秀明会に対し、
計2212万1000円を支払い(別紙一覧表①ないし)、同額の損害を被った。

このうち、神田慶治が被告松岡に対して
平成3年12月に支払った480万円
平成4年8月に支払った240万円の合計720万円(別紙一覧表⑤⑧)については、
それまでの被告松岡の原告に対する600万円以上の一連の献金強要という不法行為の一環であり、
神田慶治に対する右取立行為自体が原告に対する不法行為を構成すると同時に
神田慶治に対する欺罔による不法行為を構成する。
いずれにせよ、神田慶治が平成6年6月12日に死亡したことにより、
原告に生じた損害が確定すると同時に、
唯一の相続人である原告が神田慶治の損害賠償債権を相続した。

(二) 慰謝料 200万円

原告は、被告神慈秀明会及び被告松岡を始めとする
被告神慈秀明会の信者による継続的な欺罔脅迫行為により、
(一)の損害を被ったのみならず、
通常の生活の維持はおろか、
借金の取立てに苦しむなど、
筆舌に尽くしがたい精神的苦痛を被った。

(三) 弁護士費用 300万円

三  被告らの主張

1  被告松岡の主張

(一) 原告が被告神慈秀明会に入信し、献金した経緯について

(1) 原告の入信に至る経緯(原告の主張1(一)に対して)

(一) 原告が被告神慈秀明会に入信し、献金した経緯について 原告が昭和58年4月14日に被告神慈秀明会に入信したことは認めるが、
原告主張のその余の経緯は否認する。

原告が初めて東京支部に来て教修の第一講及び第二講を受講したときのことについては、
被告松岡が、当時被告神慈秀明会の助教師であった堀と共に原告宅を訪れ、
両名で被告神慈秀明会について説明したところ、
原告はこれに理解を示し、
取りあえず東京支部に行くことに同意したものであり、
ただ、原告が当時他の宗教に入信していたこともあって、
結局入信に至らなかったものである。
原告が主張するような、支部を挙げての強引な説得工作などはなかった。

その後、被告松岡は、原告が他の宗教の信者でもあるので、
被告神慈秀明会への入信の誘いは特にしなかったが、
被告神慈秀明会が年一回宝塚劇場を借り切って開催していた
信徒大会のアトラクションに宝塚の観劇もあったので、
原告をこれに誘い、そこで改めて被告神慈秀明会への入信を勧めたところ、
原告は快く入信したのである。

(2) 原告の入信後の状況について(原告の主張1(二)(三)(1)に対して)

被告松岡は、原告に対し、原告が主張するような欺罔脅迫行為はしていない。
原告が入信した後は、
原告が東京都目黒区から東大和市に引っ越したこともあり、
原告と被告松岡とが会う機会は次第に少なくなっていったものである。

原告は、被告神慈秀明会に入信した後は大変熱心な信者となった。
原告がした三回の桃の実献金はその現れである。

(3) 被告松岡の原告に対する貸付(原告の主張1(三)(2)に対して)

① 被告松岡は、原告に対し、欺罔脅迫行為はしていない。

② 被告松岡は、昭和63年10月11日、
夫松岡公隆と協議離婚し、
財産分与として同人の退職金を受領し、
また、平成元年4月6日には、
かねてから世話をしていた清水繁太郎が死亡し、
同人の遺言に基づいてその遺産をも承継
した。
そのため、被告松岡は、平成元年ないし平成3年の段階では、
金銭的にはかなりの余裕を有することになった。

一方、当時、原告は、夫の女性問題に悩み、別居状態であり、
さらに、原告の夫が不倫相手の女性名義のクレジットカード等を勝手に使用していたため、
原告自身のところまで苦情が来るような状況になっていた上、
障害をもった長男Kをも抱えていた。
原告はこうした状況を被告松岡に相談するとともに、
被告松岡が金銭的にかなり余裕があることもあって、
金銭の借入れを被告松岡に申し込んだ。

当初、被告松岡は、原告に金銭を貸し付けるつもりはなかったが、
原告のあまりの窮状を哀れに思い、
以下のとおり、四回にわたって合計1100万円を原告に貸し付けた。
ただし、貸付ごとに借用証を取ったわけでもなく、
また、原告ができるだけ早期に返済すると述べていたので、特に返済期限の合意もしなかった。

平成2年12月31日 300万円
平成3年2月26日 200万円
平成3年3月31日 300万円
平成7年7月16日 300万円

しかし、原告は、これらの借入れについて、
返済すると言いながらなかなか返済しなかったので、
被告松岡は不審に思い、
一般エリート会の席上で、
貸付けの証拠として、
原告に金銭借用証書に署名捺印してもらった。
これが乙第一ないし第四号証である。
このとき、原告は、連帯保証人欄の神田慶治の署名押印もしたが、
このままでは神田慶治に無断で原告が署名押印したことになるので、
平成三年10月30日、原告と被告松岡両名で神田慶治宅を訪問し、神田慶治本人から連帯保証人となることについての確認を取った。

③ 原告は、被告松岡からの前記借入れについて、以下のとおり、 合計1025万1000円を返済した。

銀行振込によるもの

計604万1000円

内訳は、別紙一覧表⑥⑦⑨ないし⑯⑱ないしのとおりである。

被告松岡に直接手渡したもの

計421万円

平成3年12月18日 40万円
平成3年12月26日 217万5000円
平成4年7月10日 40万円
平成4年8月2日 3万5000円
平成4年8月27日 120万円

④ 以上のとおり、本件は、単に金銭に窮していた原告が
被告松岡から金1100万円を借り入れ、
そのうち合計1025万1000円を返済したが、
未だ未返済分があるというだけのことである。

(4) 責任原因及び損害について(原告の主張23に対して)
否認し、争う。

2  被告神慈秀明会の主張

(一) 原告が、被告神慈秀明会に対し、別紙一覧表①②③のとおり、
桃の実献金(100万円)を三回、
合計300万円の献金をしたことは認める。
しかし、これらは全て、
被告神慈秀明会に対する信仰心の発露として、
自由意思に基づいて行なわれたものである。
被告神慈秀明会は、原告に対し、欺罔脅迫行為はしていないし、
被告松岡にその旨指示したこともない。
右三回の献金は、昭和58年秋、昭和63年5月及び平成元年4月であり、
そのような長期間にわたり、
原告が被告らから欺罔脅迫行為を受け続けて献金を繰り返すなど、あり得ない。

原告と被告松岡との間の金銭の授受を始めとする個人的なやりとりについては不知。
両名間の個人的行為については、被告神慈秀明会は関係ない。

(二) 原告が主張する責任原因及び損害については否認し、争う。

第三  当裁判所の判断

一  原告の入信及び献金に至る経緯について

原告は、別紙一覧表記載の被告神慈秀明会ないし被告松岡への
合計2212万1000円の支払について、
これが堀や被告松岡らの欺罔脅迫行為により、
被告神慈秀明会に半ば強制的に入信させられた結果であると主張
するので、
まず、原告が被告神慈秀明会に入信し、献金するに至るまでの経緯について検討する。

1  甲第一、第一五、第一六号証、乙第一一、第一二号証、堀証言、原告本人、被告松岡本人及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和58年2月、
自由が丘で久しぶりに被告松岡と再会した際、
同被告から、「桜新町に用事がある。」「観音様をお参りに行くから一緒に行かないか。」と言われ、
東京支部に連れて行かれた。
東京支部において、
被告松岡は、原告に対し、「一時間くらいお話があるので聞いてみないか。」と、
被告神慈秀明会の教修の第一講を聴くことを熱心に勧めてきた。
原告は、そこがいわゆる新興宗教の施設であることに気付き、あまり気乗りはしなかったが、
被告松岡の勧めを無下に断るわけにもいかないと思い、
教修の第一講(内容は、被告神慈秀明会の創立者、成り立ち、活動等について。)を聞き、
浄霊を受け、
さらに、翌日、教修の第二講(内容は、先祖供養や霊層界について。)も聞いた。

教修の第一講及び第二講を聞けば、
「おひかり」と呼ばれる、紐が付いた絹製のお守り袋のようなものを被告神慈秀明会から与えられ、
これを首に掛けたときから被告神慈秀明会の信者として他人に対して浄霊ができるようになるとのことであったが、
原告は、第一講及び第二講を聞いただけでは被告神慈秀明会の教えも理解できず、信用できないと思い
おひかりをもらうことはせず、入信しなかった。

(二) それからしばらくは、被告松岡からも、被告神慈秀明会からも特に入信の誘いはなかった。

(三) 同年4月、原告は、被告松岡から、
同月8日に宝塚劇場で開催される被告神慈秀明会の信徒大会のアトラクションとして
宝塚の観劇があるので行かないかなどと誘われ、これに参加した。
観劇に先立って開催された信徒大会では、
被告神慈秀明会の当時の会長小山荘吉の講話などがあったが、原告は特に興味を覚えなかった。

(四) 同年4月14日、突然被告松岡と堀が原告宅を訪れ、
「あなたの場合、もう第一講と第二講の話が終わっているので、おひかりがすぐに頂ける。頂きましょう。」
と言って東京支部に誘い、
被告松岡が長女のTを外に連れ出すなどしたことから、
原告は、やむなく二人と一緒に東京支部に向かった。
東京支部において、
原告は被告松岡らから被告神慈秀明会に入信するよう言われ、
被告松岡らが強引なのと、
被告松岡と友人関係を継続していきたいという思いから、
これを断ることができず、
また、おひかりをもらうだけなら何の拘束もないからいいかという気持ちになり、
あまり深く考えずに被告神慈秀明会に入信することにし、
入信願書を書いて入信献金3万円を支払い、おひかりを受け取った。
なお、その際、原告は、入信すると、毎日支部に言って浄霊を受けることになるとか、献金をすることになるという説明も受けていた。

(五) 原告は、入信後、東京支部への日参、朝夕の浄霊、月次祭への参加をできる限り行った。
そして、特修会などの勉強会で講義や他の信者の体験談などを聴いたり、
「秀明(※秀勉の誤記)」という被告神慈秀明会発行の新聞を読んで勉強したりするうちに、
被告神慈秀明会の教えが真理ではないかと考えるようになっていった。

(六) 原告は、入信から約四か月後、
一泊参拝団」という泊まりがけの行事に参加した。
そこで、原告は、橋本から、
「原告の先祖にKのような病気の人間がいて、救われないから霊界に訴えているのでKのような子が生まれた。原告の夫も入信すれば子供の病気も良くなる。」などと言われた。

(七) その後、原告は、昭和58年9月11日に特修会を終了し、
平成2年からは一般エリート会に所属し(前提事実2(一)のとおり)、
本部及び支部への参拝、導き、おすくいなどといった被告神慈秀明会の信者としての活動を続け、
平成5年に脱会するまでの約10年間、被告神慈秀明会の信者であり続けた。

2 右に認定した経緯によれば、
原告は、入信前に被告神慈秀明会の沿革や教義の概要、献金についての説明を受け、
その上で、被告松岡との友人関係を考えて断りにくかったのと、
おひかりをもらうだけなら何の拘束もないからいいかとの考えから入信を決意したというのであるから、
原告の被告神慈秀明会への入信自体は原告の自由意思に基づいてされたというべきである。
原告が被告神慈秀明会に入信するに当たっての
堀及び被告松岡の勧誘は、確かに強引な面があったとはいえ、
未だ、これ自体を欺罔脅迫行為と評価することはできないし、
社会的相当性を逸脱しているということもできない。

また、原告は、被告神慈秀明会に入信してから次第にその教義を信じるようになり、
頻繁に勉強会に参加するなど、
積極的に信者としての活動を行い、
一泊参拝団についても、被告神慈秀明会の行事であることを十分認識した上で参加したものであり、
以後も約10年にわたって信者として
被告神慈秀明会の教義を学び、信者としての活動を続けたのであって、熱心な信者であったということができる。

なお、一泊参拝団における前認定の橋本の発言は、
被告神慈秀明会の教えを原告に即して説いたものということができ、
その手段、態様等が社会的相当性を逸脱していたとまではいえない。

また、甲第一号証及び原告本人及び弁論の全趣旨によれば、
原告が主張する貝森、世話人の上岡及び被告松岡らの各発言については、
そのようなニュアンスの発言がされたことは認められるが、
これも社会的相当性を逸脱するものとまではいえない。
原告が、これらの発言を耳にしたことにより、
被告神慈秀明会に対して献金などの行為をしなければならないと考えたとすれば、
それは、原告が、自ら積極的に被告神慈秀明会の教義を学び、
これを信じていたからに他ならないというべきである。

二  原告の被告神慈秀明会ないし被告松岡に対する合計2212万1000円の支払について

1  原告の被告神慈秀明会に対する計300万円の献金(別紙一覧表①ないし③)について

(一) 原告が、別紙一覧表①ないし③のとおり、
被告神慈秀明会に対して合計3回の献金をしたことについては、原告と被告神慈秀明会との間で争いはない。

(二) 右各献金について、
原告は、被告松岡ら被告神慈秀明会信者による欺罔脅迫によって行ったものであると主張し、
原告本人尋問において、
子供のことを考えると献金を拒否できなかったと供述する(原告本人調書五六頁)。
しかしながら、原告は、他方で、献金について、拒否はできると思うと供述している(同五六頁)のであり、
これと、一で認定した原告の入信及び献金に至る経緯をも考慮すれば、
当時、原告は、被告神慈秀明会の教義を信奉しており、
その信じるところに従って、
拒否をしようと思えばできる献金を、
自らの自由意思に基づいて行ったと認めるのが相当である。
したがって、原告の献金が被告松岡ら被告神慈秀明会信者による欺罔脅迫行為に基づくものであるということはできない。

(三) なお、甲第一、第一七号証、乙第一三号証、原告本人及び被告松岡本人によれば、
原告の三回の献金について、
堀ら被告神慈秀明会の信者がこれを要求ないし勧誘した事実、
献金には目標額があった事実、
原告が献金のために信者や銀行などから金員を借りた事実、
その方法を堀ら被告神慈秀明会の信者が教えていた事実は認められ(右認定に反する堀証言は到底信用できない。)、
これは、必ずしも相当であるとはいえない部分があるが、
前記のとおり、当時、原告は、
自ら納得の上、自由意思で右勧誘ないし要求に応じ、
金員を調達して献金したものと認められるのであるから、
これらをもって、原告に対する不法行為に該当するとまではいうことができない。

2  原告の被告松岡に対する計520万円の交付(別紙一覧表④)について

原告は、別紙一覧表④のとおり、平成元年4月から平成3年12月までの間、
多数回にわたり、被告松岡に対して合計520万円を支払ったと主張し、
原告本人尋問においてこれに沿う供述をするが、
被告松岡はこれを否認している上、
原告は、多数回にわたるという各支払の金額及び日時場所等を明らかにしておらず、
右各金員の交付を認めるに足りる客観的な証拠は一切ないから、これを認めることはできない。

3  原告の被告松岡に対する計604万1000円の交付(別紙一覧表⑥⑦⑨ないし⑯⑱ないし)について

(一) 原告が、被告松岡に対し、別紙一覧表⑥⑦⑨ないし⑯⑱ないしのとおり金員を交付(銀行振込)したことについては、原告と被告松岡との間で争いはない。

(二) 乙第一ないし第四号証には、被告松岡が、原告に対し、弁済期の定めなく以下のとおり金員を貸し付けたとの記載がある。

(1) 平成2年12月31日 300万円
(2) 平成3年2月26日 200万円
(3) 平成3年3月31日 300万円
(4) 平成3年7月16日 300万円

そして、被告松岡は、
昭和63年10月11日に協議離婚をして夫の退職金1109万2500円及びその他の預金600万円を財産分与として受領し、
さらに、かねてから世話をしていた清水繁太郎が平成元年4月6日に死亡しその遺言に基づいて1000万円を取得したため、
金銭的に余裕ができ、生活費等に困っていた原告に対し、
現実に(1)ないし(4)の年月日に現金を手渡したなどと供述し、乙第一二号証にはこれに沿う記載部分がある。

しかしながら、原告はこれを否定する供述をしている上、
被告松岡は、約7か月間の間に四回に分けて1100万円を貸し付けたとしながら、
原告の使途については分からず、
弁済期も定めなかったと供述しており、
これは不自然といわざるを得ず、
さらに、被告松岡本人が本件訴訟において提出した準備書面である甲第一七号証には、
原告の陳述書である甲第一号証の中の「松岡氏からの金銭の借入」という項目に反論する形で、
平成2年、3年は、原告も私も、エリート生で毎月2〜3回は、本部に行っており、
バス代だけでも十万近く(二人分)そんなにかす余裕はありません。」
との記載があることから、
被告松岡が原告に対して現実に現金を交付して(1)ないし(4)の日時に貸付けをしたとの事実を認めることはできない。

(三) しかし、被告松岡本人及び弁論の全趣旨によれば、乙第一ないし第四号証は、
原告が平成3年10月30日にまとめて作成したものであることが認められるところ、
右事実によれば、少なくとも、原告が同日の時点で被告松岡に対して
合計1100万円の債務を負担していることを自認していたことは認めることができる。
そして、原告は、被告松岡から、被告神慈秀明会に献金するために
合計約1000万円を借り入れたと供述
している(原告本人調書六五頁)が、
原告本人によれば、この「借り入れた」とは、
原告が数回被告松岡から現実に現金を受け取って自分で献金したものと、
被告松岡が3ないし4回にわたって
献金やバス代を立て替えたものを含む趣旨である
ことが認められる。

そして、1で認定したとおり、
献金のために金銭を貸し借りすることや、
合意の上で献金を立て替えること自体は、
違法とまではいうことができないし、
社会的相当性を逸脱するものであるともいえない。

また、1で認定した献金に対する原告の認識
及び一で認定した原告の被告神慈秀明会の信者としての長年の行動歴からすれば、
被告松岡から献金のための金員を借りたり、
立替払いを受けたりしたことが、
原告の意思に反していたと認めることはできない。

なお、原告は、乙第一ないし第四号証を作成した時点では、 1100万円のうち800万円は被告松岡に返済済みだったと供述するが、信用できない。

(四) そうすると、甲第一号証、乙第五号証、原告本人、被告松岡本人及び弁論の全趣旨によれば、
原告の被告松岡に対する604万1000円の支払は、
前認定の1100万円の債務の弁済として、
被告松岡の要求に応じてされたものであるということになる。

(五) なお、弁論の全趣旨によれば、
被告松岡の要求が厳しいものであったことは認められるが、
その債権の原因となった貸付け及び立替払いが
原告の意思に反してされたという事実が認められないことは前認定のとおりであり、
そのような債権が存在する以上、
被告松岡の原告に対する取立てがある程度厳しくなってもやむを得ないというべきである。
したがって、被告松岡の原告に対する右取立行為が社会的相当性を逸脱しているとまではいうことはできない。

また、被告神慈秀明会において、
原告と被告松岡との貸借関係を知っていたとしても、
同被告が何らかの責任を負う根拠とはなり得ない。

4  神田慶治の被告松岡に対する計720万円の交付(別紙一覧表⑤⑧)について

甲第一、第三、第二二号証、原告本人によれば、別紙一覧表⑤⑧のとおり、
神田慶治が被告松岡に対して
平成3年12月に480万円、
平成4年8月に240万円を支払ったことが認められるが、
3で認定した事実並びに乙第六、第一二号証及び被告松岡本人によれば、
これは、原告の被告松岡に対する債務を代位弁済したものであると認めることができる。
右代位弁済は、被告松岡からの取立に応じてされたものであるが、
これが社会的相当性を逸脱しているとまではいえないことについては、3(五)で述べたとおりである。

5  原告の被告松岡に対する計60万円の交付(別紙一覧表⑰)について

原告は、別紙一覧表⑰のとおり、
平成4年10月、数回にわたり、
原告宅、被告松岡宅、立川駅、八王子駅付近及び町田駅付近において、
被告松岡に対して計60万円を手渡したと主張するが、
右各金員の交付を示す客観的な証拠は全くないから、これを認めることはできない。

6  原告の被告松岡に対する8万円の交付(別紙一覧表)について

原告は、別紙一覧表のとおり、
平成5年4月18日、町田駅付近において、被告松岡に対して8万円を手渡したと主張し、
甲第二号証の三0にはこれに沿う記載があるが、
8万円の交付を認めるに足りる客観的な証拠とはいえず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

7  以上のとおり、原告が被告神慈秀明会ないし被告松岡に対して支払ったと主張する金員のうち、
別紙一覧表①ないし③については、
原告の自由意思に基づくものであり、
同④⑰については金員の交付自体が認められず、
同⑤ないし⑯⑱ないしについては、
原告の被告松岡に対する借入金ないし立替金債務の弁済として交付されたものであるということになり、
被告らにおいて社会的相当性を逸脱した行為をしたと認めることもできないから、
いずれもその返還を求めることはできないことになる。

第四  結論

よって、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとして、 訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山﨑恒 裁判官見米正 裁判官品田幸男)


 多額の借金献金により、生活苦に追いつめられた元信者の訴えはしりぞけられ敗訴となりました。

 MIHOミュージアムが桃源郷というならば、その建設費・コレクションの原資も天国的に集められたものでなければなりません。
 MIHOミュージアムの母体である神慈秀明会の信者の信仰活動及び生活が、教祖岡田茂吉が唱える”地上天国のひな形”といえるものでなければなりません。
 当時の判決では確かに神慈秀明会の非は認められませんでした。
 しかし当時の会長小山弘子の無関心・冷徹さは、教団がうたう、”美による感化"が、”情操を高める”ものであるとはいえないことを示しています。
 それはMIHOミュージアムの美に感激する人ほど、被害を訴える人の声に耳を貸さない傾向があることがうかがえるからです。

 <今後の予告>
 これが社会的相当!?
 欺罔脅迫行為とは!?
 神慈秀明会は関係ない!?

 この元信者が敗訴となり門前払いされた当時の宗教被害は今では違法行為にあたります。
 この地裁判決は新体制になる2年前の平成6年(1996年)に出されています。
 この判例と神慈秀明会の対応について次回以降に複数回に分けて整理、考察していきます。
 次回更新は6月15日の予定です。

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